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 ●画商の独り言 アートを考える編

香月泰男 ○棟方志功 ○池田満寿夫 ○ピカソとマティス
ピカソ ○デルヴォー ○バルビゾン派 ○シュール特集
マトリックス・レボリューションズ

香月泰男

シベリア抑留という経験は、誰にでもあるものではありません。それは経験した者でしか理解できないものがあるでしょう。僕らも、『知識』としてのシベリア抑留は知っています。しかし、『経験』というものがありません。知識の上に経験が重ねられると、その理解力は、かつての100倍にもなると思います。ほんの1本の線から、ほんの少しの色から、深い意味を感じることができるのでしょう。

香月の『シベリアシリーズ』に込めた意味は、到底、僕らが理解できるものではありません。特別な経験を持つ香月の感覚には、いつまでたっても追いつくことはできません。だから、香月は、永遠に越える事のできない偉大な画家になっているのです。彼の絵を見たときに受ける感覚は、他の画家の作品からは全く感じられない程の強いものがあります。それでも、その感覚は香月本人の感覚の100分の1だとしたら、やはり実際の経験はどれ程のものだったのでしょう。そんな事を思わせます。

最近、特に思います。『経験』は大事だなあ、と。『経験』=『行動』です。本をたくさん読んで知識を得る事はとても大切です。しかし、『知識』からは何も生まれてきません。『行動』からは、結果が生まれます。ある程度の『知識』があれば、あとは『経験』を重ねる事が大切です。

棟方志功

棟方は、日本人の魂の部分を表現できる人です。彼の作品を見ていると、日本人がDNAの中に持っている土着の感性を揺すぶられるようです。(難解な表現だなあ)

要するに、『訳もなく魅かれる』のです。このような魅かれ方をするアーティスは、棟方をおいて他にありません。青森のねぶた祭りという土着の祭りを愛した男が小さい頃から身につけた感性なのです。

棟方が初めてニューヨークで講演した時に、即興で版を掘り出す姿を見て、アメリカ人の聴衆は『日本』と『天才』をそこに見出だし、その後一気にアメリカでの名声が高まったというエピソードがあります。

鐘渓頌」は、棟方作品の中で記念碑的な作品です。

戦前の棟方は、あくまでも白黒という世界に求道者のようにこだわっていました。しかし、戦争疎開した先で、多くの芸術家と触れ合い、また戦後の開放感にも後押しされて作ったののがこの作品です。白黒から色彩の世界に移行し、裏から彩色するという後の棟方の代表的技法「裏彩色」を使ったのもこの作品からでした。

僕の大好きな「菩薩」の作品も、原点は「鐘渓鐘」です。後期棟方作品の出発点とも言えるでしょう。

僕が「菩薩」の次に好きなのは、「釈迦十大弟子」です。これは、「菩薩」と対極にある作品ですが、白黒で表現されたそれぞれの人間性が豊に表現されています。当時、ベネチアビエンナーレで最優秀賞を獲ったのは当然でしょう。

池田満寿夫

池田満寿夫は、やはり、天才の一人ですね。彼の感性は、日本人よりも海外の人々に理解されるようです。悲しいのですが、ここ50年の日本では、海外で評価されてから日本に戻ってくるという芸術家が多いのです。棟方志功と池田満寿夫は、ベネチア・ビエンナーレという海外の場で初めて大きな評価を受け、その後、日本で見直されたという作家です。どちらも、版画家という範疇に入る作家です。日本人は、浮世絵を始めとして、版画という表現手段に特別な才能を発揮するようです。油絵という感情の直接表現よりも、版という間接的なものを通して表現する間接表現が、日本人の感性に合っているとも言えます。昔から、好き嫌いをはっきりと言う西洋人の直接的表現に対して、日本人の間接表現は芸術に彩を与えました。『わび、さび』の世界は、その究極でしょう。このような理由から、版画という表現を用いる芸術家が海外で評価を受けるようです。浮世絵、棟方、そして、池田。これが、日本人の関係する世界的芸術(家)の流れです。池田は、数少ない海外に通じる芸術家であり、天才の一人です。

ピカソとマティス

ピカソとマティス、どちらを選べと言われたら、個人的には即座に『マティス』かな。NYで見た「ダンス」はすばらしかったし、版画集「ジャズ」は歴史に残る名品だと思っていますよ。もし、「ジャズ」を見たことがないのであれば、インターネットで探して一度見てください。絶品です。

ちなみに、コルビジェの「直角の詩」は、「ジャズ」の後、同じコンセプトで出された版画集なのです。ピカソは、あまりにも天才過ぎて、身近に感じられないんですよ。その点、マティスも天才だけれど、なぜか遠くないんだよね。心のどこかに、『このラインなら、自分でも描けそう』って思うのかなあ。

ピカソもマティスも、ある時期にお互いを刺激し合い、すばらしい作品を出していました。どちらも、シンプルなラインを使った作品でした。しかし、その後、ピカソはその表現方法を進化させてゆき、マティスはその表現方法を極めていったのです。違った道を歩むようになっても、どちらも天才であることに変わりはありませんでした。ピカソは、愛を様々な形で表現し、マティスはシンプルなラインとカラーによって表現しました。ピカソの愛は、『泣く女』のように、時に悲しさを表現します。しかし、マティスは、あくまでも暖かい幸福感に満ちた愛の表現でした。この点でも、マティスの愛の方が受け入れ易いのでしょうか。マティスのシンプルな線は、それがシンプルであればあるほど、その根底には常人では到達できないほどの技術が隠されています。ピカソの技術も、天才レベルです。歴史をさかのぼれば、ミケランジェロやダビンチも、その根底にある技術レベルの高さは、デッサンを見れば十分に理解することができます。

ピカソ

ピカソ。彼は、いわばスーパーマンなのですよ。天才的画家であり、商才にも長け、そして、ドンファン。才能、金、名誉、そして女性という、この世の全てを手に入れた男なのです。

その1 天才的画家 ・・・・ これについては、誰も異論を唱えることができません。アインシュタインが相対性理論を発見したように、ピカソはキュビズムなる革命的手法を創造しました。しかし、それ以上に天才の証明として、彼の画風の変遷があります。青の時代から始まりキュビズムに至るまで、彼は次々とその画風を変え、しかも、それぞれが彼の足跡として高い評価を受けています。これだけ自分の画風を変化させた歴史に残る画家はピカソ以外にいません。

その2 商才 ・・・・ ピカソは、商才にも長けていました。彼は、創作意欲にまかせ、生涯に10万点とも言われる膨大な作品を制作しました。これは、毎日3点の作品を、生まれてから死ぬまで毎日制作し続けした数に匹敵します。これだけの膨大な作品が全て市場に出ていたら、天才ピカソといえど、やはり市場価値はかなり下がっていたでしょう。しかし、商才に長けたピカソは、ほとんどの作品を倉庫に眠らせ、一部しか市場には出しませんでした。このため、彼の作品の市場価値は非常に高くなり、その後、ピカソが亡くなった時に、遺族には膨大で天文学的価値の作品が残されたのです。画商の私としては、完璧な市場コントロールにただただ敬服するばかりです。天才ですよ。

その3 ドンファン ・・・・ 彼の人生の中で、重要な女性たち。オルガ・クローヴァ、マリー・テレーズ、ドラ・マール。それぞれをモデルにして歴史的な名作を制作しています。しかも、彼女たちとの関係を正直に物語るように、ある時にはばら色で幸福感に満ちた作品、ある時には絶望感に満ちた作品を残しています。オルガをモデルにした作品は、まだ,新進画家時代のために青を基調にしたまじめな作品となっています。マリー・テレーズには、彼女が17歳でピカソが45歳の時に出会っています。(ほとんど犯罪的)そして、ピカソが言った言葉。『ぼくは君をモデルにしてとてつもない作品を描き続けることができる』 そして、マリーに満足できなくなった頃に、写真家であり思想家でもあり、しかも美人というドラ・マールを口説いていたわけです。(当然、モデルを口実に。)そして、ドラ・マールのヒステリーを少々厄介に感じてきた頃に、泣く女という名作を描いている。女性を口説きながら、そのエネルギーを基に作品を描き、女性と仕事の両立をいとも簡単にやり遂げる。男の私としては、ほぼ理想的ですね。天才です。

スペインは天才を生む土壌があります。すばらしい画家たちの宝庫です。何故、スペインから天才がうまれるのか?その理由は・・・・『風と太陽』だと思います。地中海から吹いてくる暖かい風。そして、さんさんと降り注ぐ太陽の光。こんな環境の中で暮らしていれば、感性は豊かになるのでしょう。ああ・・・行きたいですね、スペイン。特に、地中海に面したバレンシアやマラガがいいですね。(今、行きたいところは、スペインの他に、ニューヨークとペルーかな。ニューヨークは、町そのものが好きですね。NYと聞いただけでワクワクします。ペルーは、インカの遺跡ですね。それから、ナスカの地上絵を空から見てみたいですねえ。・・・・ 全く統一感がありませんが。)

デルヴォー

デルヴォーやマグリットの提唱した、シュールリアリズムという概念は、相反するもの(例えば、善と悪、美と醜、など)は本来は同一なのだということを唱えるムーブメントでした。最近、その事が少し理解できるようになりました。

すなわち・・・・・善と悪や、美と醜といったものは、人間が勝手に決め付けた概念であって、本来はなかったものなのです。例えば、人間にとって害となるものは悪であり、害にならなければ善なのです。しかし、それは、人間にとってという事であり、まさに、人間が勝手に決めた概念なのです。神様は、全てのものを100%と言う状態で創られたのですから、悪も善も、美も醜も、本来は無いものなのです。人間自身も、全ての人が100%なのですから、それぞれの境遇、自分自身に満足し、感謝しなければならないはずです。自分は100%(ベスト)である、自分の今の状態・境遇は100%(ベスト)であると思えた時、満足した時に、心は自由になり、感謝の気持ちがフツフツとわいてきます。テストで60点を取った時に、『60点しか取れなかった』と罪悪感を抱くのではなく、『正解が60点もあった』と喜ぶ事ができれば、その自分に満足し、心は晴れ晴れとなるでしょう。(ああ、これを小学生の時にさとっていたら。)少々、芸術論からは遠くなりましたが、デルヴォー達は、人間が本来持つべき『自由な心』を提唱しているのだと解釈しています。

バルビゾン派特集

バルビゾン派の作家達についての、’画商の独り言’です。バルビゾン派というのは、実は後世の人達が付けた名称であり、当時はこのような明確な名称を持つ集団はありませんでした。ただ、バルビゾン村に集まってきた画家達が、今までの都会の生活とは違う、自然にあふれた環境に感銘を受け、自然をそのままに美しく描くようになったという事でした。これら、バルビゾン派と呼ばれる画家達は、時期としては、印象派の前に位置し、バロックから印象派への橋渡しをするような役割を果たした事も事実としてありました。すなわち、形式的なバロックから自然を描くバルビゾンへ、貴族的なバロックから庶民の生活を描くバルビゾンへ、そして、強いコントラストの効いた光を描くバロックから自然の柔らかな光を描くバルビゾンへという様に、バルビゾン派の様式は全て、後の印象派につながっていきました。特に、私がバルビゾン派に惹かれるのは、その’光’です。少し暗めの画面に柔らかな光が差し込んでいる様子は、心の奥底に届くような、何とも言えない優しさを感じます。ミレーの画面全体におおいかぶさった少し暗めの光、コローの若草の香りがするような緑色の光、クールベの理知的な印象を鮮明にする光、それぞれが、特徴的な光を描いています。日本人がバルビゾン派の画家たちをこよなく愛するのは、理由があります。それは、光なのです。

シュール特集

ポール・デルヴォー

ベルギーの画家ポール・デルヴォーの作品は、過去10年位のオークションデータを見ると、油絵で2,000万円から4億円、ペン画でさえ500万円から1,000万円という落札価格ついています。版画(リトグラフ、エッチング)は、100万円から400万円というところが、今までの落札価格帯となっています。デルボーは、圧倒的に海外で評価が高く、油絵やペン画などの原画は海外のオークションで取引されるケースがほとんどです。従って、日本では原画の良い作品は非常に見つけにくいと言えます。しかし、版画であれば、バブル期に入ってきた秀作があり、これを入手することが可能です。

ルネ・マグリット

マグリットは、お好きですか? 私にとってマグリットは、絵画の美しさと霊感を与えてくれるものです。彼の作品の前に立つと、美しいと感じる同時に、違う世界からの呼びかけを感じるような不思議な感覚に陥ります。ある面で、デルヴォーの作品もそうなのでしょうか。さらに、今回のマグリット展には私の大好きな作品’大家族’が来ているのです。あの作品は、彼の作品の中でも最高の傑作です。私の画商としてのルーツです。20年ほど前に、画家の名前も分からない頃に私の心に深く入り込んできた作品でした。

サルバドール・ダリ

デルヴォーもマグリットもベルギーの画家です。当時は世界的なムーブメントとして、’シュールリアリズム’がありました。その活動の一大拠点がベルギーであり、そのベルギーシュールリアリズムの巨匠がマグリットとデルヴォーです。もう一人シュールの巨匠といえば、サルバドール・ダリがいます。シュールリアリズムは、非日常性を表現するところに特徴があるのですが、ダリは、自分を極端な睡眠不足状態にして、アトリエで作品を描きながら眠りの世界に入り、眠りから覚めたときに今見た夢の世界をすぐにキャンバスに描いた、というエピソードがある画家です。いかにも、シュールな画家のやりそうなことです。マグリットやデルヴォーは、ダリのように自己破滅的な画家ではなく、あくまでも常識的な人であったようですが。

 

マトリックス・レボリューションズを読み解く!

救世主 ・・・・ 過去5人の救世主は、全て、プラグを付けられた人類の突然変異から生まれてきた。1回の突然変異ではなく、数回の突然変異を繰り返すうちに、特別の能力を有する人類、すなわち、救世主となった。そして、同じようにザイオンの手引きにより、プラグのコントロールから蘇り、救世主としての自覚を持つようになる。

ネオ ・・・・ 彼も、過去5人と同じように、救世主として目覚める。そして、同じように、最後の扉を開けて選択を迫られる。そして、同じように、愛(女性=トリニティ)を選ぶ。そして、同じように、ザイオンは攻め滅ぼされる。

ネオを含め出現した救世主は、能力の差はあれ、最後は愛を選択する。そして、人類の生き残り(ザイオン)は死滅する。

しかし、救世主(今回はネオ)と女性(今回はトリニティ)は、残る事となる。これが、いわゆる「アダムとイブ」。この2人から子供が産まれ、その子孫が新たなザイオンをつくる事となる。

一方、「プログラム」は、引き続きプラグにつながれた人類をコントロールすることとなる。そして、交配の中から生まれる突然変異を除外しようと試みるが、ザイオンが先祖から聞いた救世主伝説を信じ、救世主を求めて挑戦を開始する。この繰り返しが、「天地創造」の真実だった、という事です。

マトリックスとは、「輪廻転生」という思想を表現した映画なんですよ。

しかし・・・・ ネオは、愛を選択した後、過去5人の救世主とは異なる行動を取ることとなる。それが、「プログラム」の計算にはなかった結果を生み、新たな展開(革命=レボルーション)をもたらす。

スミスの正体: 

マトリックス1では、プログラムのエージェントだった。エージェントとは、強力なハッキング(ハッカーの進入、または、ハッカーが作った不正プログラム)を駆除するプログラムのこと。強力なハッキングの一部は、コンピューター・ウィルスとも言われる。エージェントは、ウィルスの駆除プラグラムとしても機能する。
マトリックス1での戦いは、すなわち、ネオが作ったコンピューター・ウィルスと駆除プログラム(エージェント・スミス)の戦いでもあった。そして、戦いに敗れた駆除プログラムは、本来の駆除機能を消失し、自分の意思で自由に動き回る機能と、自分をコピーする機能を持つようになる。これが、マトリックス2での、スミスの姿。

しかし、動き回る自由はあっても、ウィルスのように何処にでも進入できるほどの特別な能力はない。このため、最も有能なハッカーであるネオ(救世主となっている)からその特別な能力を奪おうと躍起になる。
付け加えれば、二人(ブラザー)組も、今までにない新型のウィルス駆除プログラム。だから、エージェントとは全く違う姿をしている。そして、その能力も格段にアップしている。

救世主の正体:

救世主は、人類の突然変異が数回繰り返されて出現するが、その特別な能力は、コンピューターへの不正進入、すなわちハッカーとしての特別な能力の事。反対に言えば、優秀なハッカーの中から救世主は生まれてくることになる。ネオもしかり、トリニティもかつては有名なハッカーであった。ハッカーたちは、不正侵入をするためにあらゆる手段を講じ、あらゆるプログラムに進入することになり、(核心の)プログラムはこの事を最も恐れることとなる。長い歴史の中で、極めて優秀なハッカーが出現する。これが、救世主なのだ。

ネオの行動 :

ネオもハッカーとして活動し、モーフィアスの導きもあり、その能力が極めて高い事に気付き、救世主としての自覚をもつようになる。そして、その極めて優秀な能力を駆使して「キー」を探し出し、「核心」に入り込む事に成功する。プログラムは、「1」と「0」の組み合わせで作られている。すなわち、選択はいつも2つに1つなのだ。「核心」に侵入したネオは、当然のごとく、2つに1つの選択を迫られる事になる。そして、マトリックス2では、トリニティという「愛」を選択することとなり、ザイオンは滅び、ネオとトリニティという2つの生命体が新たなザイオンを作ることになる。

しかし、ここからネオは計算外の行動を取る。すなわち、「1」と「0」という選択しかないプログラムに、あらたな第3の選択肢を作り出すのだ。この選択肢は、いわゆる「ファジー」、あいまいな選択と言われるもの。これは、「1」と「0」という理論的な選択ではなく、4次元的な精神世界から生まれる選択肢である。この選択は、人間にしか選択できないものだった。ネオがこの第3の選択肢を作ることによって、プログラムは機能しなくなり、プラグにコントロールされていた全人類は目覚める事になる。同時に、滅びたザイオンも全て蘇り、マトリックス3のハッピーエンドとなる。

ネオが、第3の選択肢を作り上げるまでに、ネオ、トリニティ、モーフィアスたちの激しい戦いが続き、例の息をもつかせぬアクションが繰り返されるという訳。

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